かつての中山道宿場町・東濃地区「御嵩町」の旅 Part1
かつての中山道宿場町のひとつ・御嶽宿(みたけじゅく)。
現在では漢字が変更されるが、読み方は変わらず、
御嵩町(みたけちょう)という岐阜東農地方の小さな町です。
ちょっとした用事で、この地方を日帰り旅する事になったので、
その時に撮影した写真等を含めてレポートしていきたいと思います👍
廃線危機に直面している名鉄広見線の終点「御嵩駅」!
これが名鉄広見線の終点「御嵩駅」。
おっ、現在では珍しい電話ボックスがありますね!
携帯電話の普及により、もうほとんど街中で見る事が少なくなったモノのひとつですね。
あと、無人駅を象徴するかのように、誰かが堂々と自転車を駅前に停めてますね(^_^;)
こじんまりとした終点駅で、駅前もあまり発展している感じがしないのですが、
電動アシスト自転車用のエコ駐輪場なるハイテクな駐輪場がありました。
なるほど、ソーラーシステムで電動アシスト自転車のバッテリーが充電できるというワケですね!
エコ駐輪場に停められる台数は少なめですが、とりあえず1台も停まってなかったのが
哀愁を漂わせていました(^_^;)
近くにあるお寺のトイレに、こんな感じに悲壮感が漂う張り紙が!!
調べたところ、名鉄の新可児駅から御嵩駅方面に続く名鉄広見線が
赤字路線である為、廃線の恐れがあるそうです(>_<)
まぁ、僕も電車で来たワケでなく、用事の途中なので
クルマで御嵩まで来たのですが・・・(^_^;)
僕が御嵩に来たのは、おそらくこれが初めてっぽいので、
詳しい事情はわかりませんが、名鉄広見線が廃線になると
駅の周辺がさらに寂しくなるので、
頑張ってもらいたいものです。
御嵩駅の隣には衝撃的な飲食店が!?
御嵩駅の隣の飲食店?で、
こんな感じの垂れ幕が!!
とりあえず先ほどの事情を知った後だと、
『何とかしようと頑張っているんだなぁ・・・』
と、涙が出そうになりました(;^ω^)
「みたけとんちゃん発展会」?
この近隣に住んでいるワケではないから仕方ないのかもしれませんが
まったく知らない単語でした(^_^;)
一応、現在の住居や出身が東海地方なんですが、
「みたけとんちゃん」というモノは、ここで初めて知りましたね・・・。
「とんちゃん」なので、豚のホルモン焼きの事かと思いますが・・・。
この目立つ垂れ幕の下を見てみると・・・ッ!?
お前ら・・・いくら驚いたからって、そんなにたたみかけるなよ(^_^;)
客寄せだとしても、インパクトという面では
良くも悪くも衝撃的で印象に残るぜ?
できれば、どんなお店なのか確かめたかったのですが、
用事の帰りで夕方だし、すでに昼食は食べた後なので、
さすがに入るのは止めておきました(;^ω^)
もし、御嵩町を旅される方は、
ぜひ寄ってみて感想を聞かせてくださいね!!
だから、昼食は昼に食べてて、まだお腹が減ってなかったんだよ!
決して人形が怖くて怪しそうだから、入らなかったワケじゃないぞ!(笑)
その代わりに、オススメの「とんちゃん」を紹介しようかな(*^_^*)
オススメの旨い「とんちゃん(ホルモン)」!ネットショップで気軽に買い物しよう!!
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「楽天市場」を普段使っている方は、
上記の飛騨地方のB級グルメ「飛騨神岡とんちゃん」が
超オススメです!👍
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とってもジューシーだぜ👍
あの「最澄」が創建した、と伝えられる伝説のお寺!
そして、御嵩町だけでなく東濃地方でも有名なお寺「願興寺」です。
なんと!創建したのは、あの日本天台宗の祖である「最澄」だそうです!Σ(・ω・ノ)ノ!
なるほど、それならば有名にならない方がおかしいですよね!
「最澄」と言えば、あの有名な比叡山延暦寺を創建したので有名です。
え?『あの織田信長で有名な比叡山延暦寺か?』って質問ですか?
たしかにそうなんですけど、最澄が比叡山延暦寺を創建したのは平安時代、
信長が延暦寺を焼き討ちしたのは安土桃山時代、通称「戦国時代」なので、
年代がまったく違うから、その事以外での関連性はないです。
重要文化財に指定されてます。
『あれ?平安時代に建てられた寺ならば、
もっと知名度が高くないとおかしくね?』
と思われた方・・・残念ながら、
戦火に巻き込まれて2度も全焼してるんです(>_<)
最後にお寺が再建された年は1581年と、平安ではなく戦国時代ですね(^_^;)
最初に創建された年は、815年という伝承があるので、
もしも、それから一度も焼失してなかったら、
とんでもない知名度があったでしょうね!
中部四十九薬師霊場の石碑。
中部地方の薬師如来を祀る巡礼地のうちのひとつです。
薬師如来とは、仏教における医薬の仏様。
中部地方に四十九か所もの巡礼地があるんですねΣ(・ω・ノ)ノ!
霊場巡りや巡礼を嗜んでらっしゃる方は、
挑戦してみるのも良いかもしれませんね!
まだ比較的に新しそうな建物も発見!
再建後は、建物の劣化による損壊を防ぐために、
本堂を含めた建物が定期的に改修されているそうです。
本堂の大掛かりな改修が
この時のから1か月後の4月から始められたそうです。
(僕がこの地を旅したのは、
3か月前の3月です。ややこしくてスミマセン)(^_^;)
「願興寺」の通称である「蟹薬師」の文字が木板に記されています。
東濃の中では、比較的大きな街である可児市近郊ですからね。
おそらくそこから名づけられたモノだと考えるが・・・。
本堂から門のあたりを撮影してみました。
4月から大改修が始まるので、日曜の夕方にも関わらず
写真撮影しに来ている地元の方が数名いました。
こうして伝説のお寺を後にしました。
機会があれば、大改修が終わった後の
本堂も見てみたいですね☆
江戸時代には、夜によく幽霊と誤認された柳の木!
願興寺の近くの小さな川沿いに柳の木がありました。
昔から、夜に木の近くを歩くと『幽霊が出た!』と誤認される柳ですが、
人に当たるぐらいに柳の枝が垂れ下がっているので
昔の灯り少ない通りの場合は、夜だと柳の枝を視認できず、
歩きながら柳の枝や葉に当たってしまい、『幽霊に身体を触られた!』
と勘違いするケースが多かったようです(^_^;)
天下に轟いた武勇!「笹の才蔵」生誕地!
東海地方に住んでいるのに、これは知らなかった(;^ω^)
戦国時代に、一兵士として多くの敵を討ち取った伝説の戦士です。
岐阜周辺の人は、あの可児才蔵が御嵩町の出身と知っているのかなぁ?
まぁ、戦国時代に興味がある人しか知らないかもしれませんが(^_^;)
え?『笹の才蔵ってどんな人だったの?』・・・って?
槍の名手で、流派は宝蔵院流槍術といわれています。
宝蔵院流槍術とは?ってか・・・江戸時代では有名な槍の流派で、
活躍した槍の使い手の多くは、この宝蔵院流槍術を学んでいたほどです。
別に、上のCGは才蔵をイメージした絵ではなく、
戦うサムライをイメージしたCGだから、いいんだってばよ(;^ω^)
「笹の才蔵」のエピソードで有名なのが、甲州征伐戦(武田軍掃討戦)で、
首級実検の時に、才蔵は3つしか首を持ってこなかったのですが、
「16の首を討ち取った!」と豪語しました。
当然のように疑われたのですが、才蔵曰く、あまりに多くの首を取ったので、
持ち歩くのに邪魔だから、自分が討ち取った首には、笹の葉を入れて
目印にして置いておいた、と言い張ったのです(^_^;)
実際に調査へ行かせたところ、討ち取られた13の首の口に、
笹の葉が入れられていたそうです。
このエピソードにより、可児才蔵の通称が「笹の才蔵」となったのです!
1つの記事として、1ページに盛りだくさんの内容になっちゃったので、
まだ「みたけの森」や「御嵩富士」の写真があるから、
いつもながら次回へと記事を分けますね(^_^;)
続きは、何とか本日中に作成!・・・予定です(;^ω^)
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