【日本全国の旅】墨俣の一夜城に行ってみた!
はい、久しぶりのお城関連の旅になりますね(*^_^*)
歴史にあんまり詳しくない人でも、
多くの人が知ってるであろう
農民から天下人にまで出世していった「木下藤吉郎」が、
「信長軍団」として斎藤家との戦の為に、
短期間で築城したといわれる「墨俣の一夜城」です。
あぁ、それな。
知ってる人も多いとは思うが、一応解説しようかな。
戦国時代の天下人として有名な「豊臣秀吉」なんですが、
めっちゃくちゃ改名してたりします(笑)
どれぐらい改名しているかと言うと、
「日吉」 → 「木下藤吉郎」 → 「羽柴秀吉」 → 「藤原秀吉」 → 「豊臣秀吉」
もちろん昔の話なので諸説ありますが、概ね上記の通りです。
旧名の「藤吉郎」という名前もかなり有名なんだから、
まったく・・・ブログのキャラならば
しっかり勉強しておけよ、一文字!
何でだよッ!?Σ(・ω・ノ)ノ!
「太閤出世橋」を渡る!
おお、立派な石碑がありますね!
うん?よく見ると城の看板ではなく、
その前の橋の看板だなコレ。
おっ、これがその「太閤出世橋」ですね。
ところで「太閤」とは「秀吉」を表す言葉のように思えますが、
本来の意味は、摂政や関白を誰かに譲った後の人の称号であるから、
どれぐらい偉いのかがわかりにくいかもしれませんが、
そもそも「秀吉」のように「関白」へと出世できた人自体が
ものすごく限られている為、凄まじく偉かった!という事がわかります。
だよなぁ~。僕も調べるまでは詳しく知らなかったし(笑)
それでは「関白」とは、天皇を補佐する官職の一つで、
実質上、戦国時代で国民が就任できる最高位の職ですね。
・・・なんか今回の記事は、メチャクチャ解説が多いなぁ(^_^;)
まず「関白」になるには、
「公家」という貴族にならなきゃならないし、
その中でも「五摂家」といわれた
公家の中でも別格の家柄が必要だし。
鋭い読者さんならば、もう気づいた人も多いと思われますが、
「秀吉」が「藤原姓」を賜る必要があったのは、
そうしないと「関白」にまでは出世できなかったから!
・・・なのです(^ω^;)
「藤原秀吉」という名が、あまり定着していないのは、
この後、天皇から「豊臣姓」を賜って「豊臣秀吉」と、
すぐに改名されたから!だったりします(笑)
黒い水鳥のオオバンがいた!
難解な歴史の話の後は、「太閤出世橋」を
渡っている最中に発見した、
黒い水鳥の「オオバン」の写真を載せてみました☆
浅めな所を泳いでいる一匹を
アップで撮影してみました!
墨俣城から見たワケじゃないけど、
帰りに「長良川」でオオバン三匹が泳いでいるのを
見かけたので、コチラもついでに載せておきますね♪
現在の墨俣城は、墨俣城跡に建てられた歴史資料館
前半で解説した「秀吉」こと
「木下藤吉郎」の像ですね。
この墨俣城で活躍した頃は、
まだ「木下藤吉郎」と名乗っていた時期でしたもんね。
現在の墨俣城こと
「墨俣一夜城跡歴史資料館」の入り口です。
資料館らしく、建物に対して入り口が小さかったので
少し吹き出しました(^_^;)
墨俣の一夜城があった岐阜の名産!飛騨牛を使ったビーフカレー!
まだまだ撮影した写真はあるけど、少し長くなってきたから
記事を分けようかな(^_^;)
この続きは、次回の記事にてアップいたしますね☆
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