【墨俣の一夜城】での旅 ~ 完結編 ~
はい、前回の記事の続きになりますね!
岐阜を旅した時に訪れた「墨俣の一夜城」です。
正確に言えば、墨俣城の跡に建てられた歴史資料館だけどね(^_^;)
城の周りには、いろんな石碑があった!
平成7年に、皇太子と皇太子妃が訪れたのを
記念して建てられた石碑。
さすがに立派ですね。
日本の中世三大紀行文のひとつ
「十六夜日記」の歌が
記された石碑がありました。
鎌倉時代に60歳にもなる老齢な女流歌人が、
京都から鎌倉までの旅路をつづった旅行記です。
その内容は、
「 かりの世の ゆききとみるも はかなしや 身をうき舟の 浮橋にして 」
五・七・五・七・七の短歌ですね。
舟に乗り込む時等に使用する臨時に
かける橋を浮橋というのですが、
昔の小舟は、とても簡易的な造りで
安全面を考えると危険なモノが多かった為、
その危険な舟へと続く浮橋を渡る人を見て、
この世の危険な旅路とをかけて詠んだ、
といわれている・・・らしい。
鎌倉時代なので、京都から鎌倉への旅路は、
常に危険が付いて回っていたと思われます。
野盗や山賊、辻斬りなんかも
たくさんいたでしょうし(^_^;)
現代でもカタナを背負っているお前は、
銃刀法違反だけどな。
うん、知ってる(笑)
あえて説明するまでもないかもしれませんが、
鎌倉っていうのは、現在の神奈川県鎌倉市周辺の事です。
関東の方なら、知らない人は少ないでしょうが、
関西の人だと、どの辺りなのか
わからない人もいるかもしれませんし。
秀吉(この時点での名は「藤吉郎」)が、
一夜城を建てて活躍した旨が記されている石碑。
もちろん戦時ではなく、後世に建てられた石碑ですが(^_^;)
隣には、秀吉(藤吉郎)が敵軍である
斎藤家の襲撃を防ぐ為に造った、とされる
馬柵についての説明が書いてある看板があった。
「馬柵」と書いてあるので、何の事だろう?と思いましたが、
馬防柵の事ですね。意味は読んで字の通りです(*^_^*)
馬防柵の近くに裏口の橋がありました。
正面の「太閤出世橋」に比べると、
赤い色は目立つが、色あせているし
少し古そうですね。
「一夜城址」と書かれた石碑。
昭和十二年に、この石碑が建てられた、と記されてます。
「址」という漢字は、「跡」の中でも
建物の跡に対して使われる漢字です。
うん?なんか新しそうな石碑を発見!!
木曽三川治水百周年を記念して、
昭和六十二年に建てられたようです。
たしかに、それならまだ新しい方ですね!
墨俣城の裏へ行ってみた!
お城(現在は歴史資料館ですが)の裏には
「豊国神社」がありました。
「豊臣秀吉」つまり墨俣で当時に活躍した
「木下藤吉郎」を祀る神社ですね。
ちゃんとお参りしてきましたよ(*^_^*)
おお、お城の裏には、何か倉庫みたいな裏口がある。
関係者以外は入れなさそうだ。
裏から撮影する墨俣城がステキすぎた!
裏から見た墨俣城・・・まぁ、しつこいようだけど
後世に建てられた歴史資料館ですが(^ω^;)
こうして見ると、とても立派なお城に見えますね☆
スマホを縦にして全体像を撮影!
全体図を撮る為には、
望遠レンズじゃアップになりすぎて無理なのですが、
この時は望遠レンズに換えたばかりだったから、
また通常レンズに戻すのが面倒でした、スミマセン(^_^;)
ってか、何でオラついてるんだ?このネコ!(怒)
ネコさんご要望の一眼レフの写真です。
まぁ、特に多彩な機能を使わずに
望遠で撮影しただけですが(^_^;)
さらにアップで城の上部を撮影してみました!
アレ?名古屋城じゃないけど
金シャチが付いてますね(^_^;)
日本のお城には金シャチが定番なのか?再建された墨俣城にも、何故か金シャチが!
せっかくだから、墨俣城と言う名の歴史資料館の
屋根についている金シャチも
アップで撮影してみました(^_^;)
まだ新しめの金シャチですね!奇麗です(*^_^*)
それでは、ここで少し金シャチについて解説を。
金シャチとは・・・昔の城郭建築により建てられた
天守に設置されている金色の鯱の造り物である!
金シャチにも2種類あって、漆を塗って金箔を施した金鯱と、
金の板を木で造られた鯱に張った金鯱がある。
金の板で張られた金シャチの方が数が少なく、
今の時代で見られるモノでは、
有名な名古屋城の大天守の上にある金鯱がソレです(*^_^*)
まさかじゃなくてもレプリカだよ!
現在では、お寺や商業施設でも金シャチのレプリカを
設置している場所もあったりします(^_^;)
そもそも名古屋城の金シャチも、
第二次世界大戦時の名古屋大空襲で焼けてしまったので、
現在設置されているのはレプリカだしな。
つまり、江戸時代に造られた金シャチで
現存しているモノは存在しない!
名古屋城の金シャチの残骸を加工して、金の茶釜へと
変化させたモノなら保存されているそうです。
これまでの写真にもチラホラ写っていた「ひょうたん」が、墨俣城のお祭りで活躍!?
「秀吉」の「出世の泉」というスポットがありました(^_^;)
コレって・・・泉かなぁ?(笑)
石で出来ている「ひょうたん」から、
大きめの石の皿に、ひたすら水がつぎ込まれてます(^_^;)
うおお!?たくさんのひょうたんが絵馬のごとく吊るされているッ!?
調べたところ、「願掛け出世ひょうたん」というスポットのようです。
なんと!毎年10月に行われている祭りで、
1年間こうして奉納されていた「願掛けひょうたん」たちが
かがり火で燃やされるそうです!Σ(・ω・ノ)ノ!
おお、なんでもひょうたんをかがり火で燃やして、
炎となって燃え上がったひょうたんは、
願いと共に天へと届く・・・そうだ。
そうか、自分でひょうたん燃やせるか
どうかはわからんけどな。(^_^;)
10月に岐阜へ旅できたら、
祭りを見てみるのも、いいかもしれないね!
なんでも去年の2017年は、10月1日の日曜日に祭りが開催
されたそうですよ♪
今年2018年も10月の日曜日に開催される予定です。
老齢ながら、鎌倉時代に京都から鎌倉まで旅をした「十六夜日記」を見習って、ウォーキングしよう!
もちろん遥か昔の事なので、
どんな道程だったのかは不明ですが、
健脚でなければ、長距離の旅はできないはずです。
もしかすると、籠に乗っての旅だった場合は、
健脚とか関係なくなりますが(^_^;)
墨俣城を旅するには!羽島のルートインがオススメ!
岐阜県にある墨俣一夜城!
東海地方からの旅ならともかく
東京や大阪などから行くには
ちと時間がかかっちゃいますよね?
そんな時にオススメなのが
墨俣城にそこそこ近くて
岐阜では発展している街である
岐阜羽島市の『ホテルルートイン・岐阜羽島駅前』で
宿泊して、じっくりと周辺を見て回ろう!!👍
岐阜西濃地区の墨俣城の旅、如何でしたでしょうか?
実際の墨俣一夜城は、謎や諸説も多いですが、
当時の戦後に取り壊されている簡易的な城だったようで、
もちろんこんな立派な造りではなかったでしょうけど(^_^;)
ちなみに、一夜城とは言いますが、
さすがに一晩ではお城は建てられませんよ(笑)
これも諸説ありますが、3日で完成したとか、
7日で完成したとか、いろいろ言われてますね。
秀吉の出世の足掛かりとなった墨俣の地、
興味のある方は、ぜひ旅してみてくださいね(*^▽^*)
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