【墨俣の一夜城】での旅 ~ 完結編 ~

投稿者: makoto-itimonji 投稿日:

墨俣城の城01

はい、前回の記事の続きになりますね!

岐阜を旅した時に訪れた「墨俣の一夜城」です。

正確に言えば、墨俣城の跡に建てられた歴史資料館だけどね(^_^;)


城の周りには、いろんな石碑があった!

墨俣城の皇太子来訪記念石碑

平成7年に、皇太子と皇太子妃が訪れたのを

記念して建てられた石碑。

さすがに立派ですね。

墨俣城の十六夜日記石碑

日本の中世三大紀行文のひとつ
「十六夜日記」の歌が
記された石碑がありました。

鎌倉時代に60歳にもなる老齢な女流歌人が、
京都から鎌倉までの旅路をつづった旅行記です。

その内容は、

「 かりの世の ゆききとみるも はかなしや 身をうき舟の 浮橋にして 」

五・七・五・七・七の短歌ですね。

舟に乗り込む時等に使用する臨時に

かける橋を浮橋というのですが、

昔の小舟は、とても簡易的な造りで

安全面を考えると危険なモノが多かった為、

その危険な舟へと続く浮橋を渡る人を見て、

この世の危険な旅路とをかけて詠んだ、

といわれている・・・らしい。

鎌倉時代なので、京都から鎌倉への旅路は、
常に危険が付いて回っていたと思われます。

野盗や山賊、辻斬りなんかも
たくさんいたでしょうし(^_^;)

一文字墨俣城2の一文字コメ01

現代でもカタナを背負っているお前は、

銃刀法違反だけどな。

一文字墨俣城2の一文字コメ02

うん、知ってる(笑)

あえて説明するまでもないかもしれませんが、

鎌倉っていうのは、現在の神奈川県鎌倉市周辺の事です。

関東の方なら、知らない人は少ないでしょうが、

関西の人だと、どの辺りなのか

わからない人もいるかもしれませんし。

墨俣城の馬柵と石碑

秀吉(この時点での名は「藤吉郎」)が、

一夜城を建てて活躍した旨が記されている石碑。

もちろん戦時ではなく、後世に建てられた石碑ですが(^_^;)

隣には、秀吉(藤吉郎)が敵軍である

斎藤家の襲撃を防ぐ為に造った、とされる

馬柵についての説明が書いてある看板があった。

「馬柵」と書いてあるので、何の事だろう?と思いましたが、

馬防柵の事ですね。意味は読んで字の通りです(*^_^*)

墨俣城の裏口の橋と柵

馬防柵の近くに裏口の橋がありました。

正面の「太閤出世橋」に比べると、

赤い色は目立つが、色あせているし

少し古そうですね。

墨俣城の一夜城跡石碑

「一夜城址」と書かれた石碑。

昭和十二年に、この石碑が建てられた、と記されてます。

「址」という漢字は、「跡」の中でも

建物の跡に対して使われる漢字です。

墨俣城の一夜城跡の新石碑

うん?なんか新しそうな石碑を発見!!

木曽三川治水百周年を記念して、

昭和六十二年に建てられたようです。

たしかに、それならまだ新しい方ですね!


墨俣城の裏へ行ってみた!

墨俣城の豊国神社

お城(現在は歴史資料館ですが)の裏には

「豊国神社」がありました。

「豊臣秀吉」つまり墨俣で当時に活躍した

「木下藤吉郎」を祀る神社ですね。

ちゃんとお参りしてきましたよ(*^_^*)

墨俣城の城の裏口

おお、お城の裏には、何か倉庫みたいな裏口がある。

関係者以外は入れなさそうだ。


裏から撮影する墨俣城がステキすぎた!

墨俣城の城02

裏から見た墨俣城・・・まぁ、しつこいようだけど

後世に建てられた歴史資料館ですが(^ω^;)

こうして見ると、とても立派なお城に見えますね

墨俣城の城03

スマホを縦にして全体像を撮影!

ミケミケ墨俣城2のミケコメ01

全体図を撮る為には、

望遠レンズじゃアップになりすぎて無理なのですが、

この時は望遠レンズに換えたばかりだったから、

また通常レンズに戻すのが面倒でした、スミマセン(^_^;)

ってか、何でオラついてるんだ?このネコ!(怒)

墨俣城の上部アップ02

ネコさんご要望の一眼レフの写真です。

まぁ、特に多彩な機能を使わずに

望遠で撮影しただけですが(^_^;)

墨俣城の城上部アップ

さらにアップで城の上部を撮影してみました!

アレ?名古屋城じゃないけど

金シャチが付いてますね(^_^;)


日本のお城には金シャチが定番なのか?再建された墨俣城にも、何故か金シャチが!

墨俣城の金シャチ01

せっかくだから、墨俣城と言う名の歴史資料館

屋根についている金シャチ

アップで撮影してみました(^_^;)

墨俣城の金シャチ02

まだ新しめの金シャチですね!奇麗です(*^_^*)

それでは、ここで少し金シャチについて解説を。

金シャチとは・・・昔の城郭建築により建てられた
天守に設置されている金色の鯱の造り物である!

金シャチにも2種類あって、漆を塗って金箔を施した金鯱と、

金の板を木で造られた鯱に張った金鯱がある。

金の板で張られた金シャチの方が数が少なく、

今の時代で見られるモノでは、
有名な名古屋城の大天守の上にある金鯱がソレです(*^_^*)

文乃墨俣城2の文乃コメ01

まさかじゃなくてもレプリカだよ!

現在では、お寺や商業施設でも金シャチのレプリカ

設置している場所もあったりします(^_^;)

そもそも名古屋城の金シャチも、
第二次世界大戦時の名古屋大空襲で焼けてしまったので、

現在設置されているのはレプリカだしな。

つまり、江戸時代に造られた金シャチ
現存しているモノは存在しない!

名古屋城の金シャチの残骸を加工して、金の茶釜へと
変化させたモノなら保存されているそうです。


これまでの写真にもチラホラ写っていた「ひょうたん」、墨俣城のお祭りで活躍!?

墨俣城の出世の泉と石びょうたん

「秀吉」「出世の泉」というスポットがありました(^_^;)

コレって・・・泉かなぁ?(笑)

石で出来ている「ひょうたん」から、

大きめの石の皿に、ひたすら水がつぎ込まれてます(^_^;)

墨俣城のひょうたんがたくさん結ばれている

うおお!?たくさんのひょうたんが絵馬のごとく吊るされているッ!?

調べたところ、「願掛け出世ひょうたん」というスポットのようです。

なんと!毎年10月に行われている祭りで、

1年間こうして奉納されていた「願掛けひょうたん」たちが

かがり火で燃やされるそうです!Σ(・ω・ノ)ノ!

一文字墨俣城2の一文字コメ03

おお、なんでもひょうたんをかがり火で燃やして、

炎となって燃え上がったひょうたんは、

願いと共に天へと届く・・・そうだ。

文乃墨俣城2の文乃コメ02

そうか、自分でひょうたん燃やせるか

どうかはわからんけどな。(^_^;)

10月に岐阜へ旅できたら、

祭りを見てみるのも、いいかもしれないね!

なんでも去年の2017年は、10月1日の日曜日に祭りが開催
されたそうですよ

今年2018年も10月の日曜日に開催される予定です。


老齢ながら、鎌倉時代に京都から鎌倉まで旅をした「十六夜日記」を見習って、ウォーキングしよう!

もちろん遥か昔の事なので、

どんな道程だったのかは不明ですが、

健脚でなければ、長距離の旅はできないはずです。

もしかすると、籠に乗っての旅だった場合は、

健脚とか関係なくなりますが(^_^;)


墨俣城を旅するには!羽島のルートインがオススメ!

岐阜県にある墨俣一夜城!
東海地方からの旅ならともかく
東京や大阪などから行くには
ちと時間がかかっちゃいますよね?

そんな時にオススメなのが
墨俣城にそこそこ近くて
岐阜では発展している街である

岐阜羽島市の『ホテルルートイン・岐阜羽島駅前』
宿泊して、じっくりと周辺を見て回ろう!!👍



墨俣城の正面展望

岐阜西濃地区の墨俣城の旅、如何でしたでしょうか?

実際の墨俣一夜城は、謎や諸説も多いですが、

当時の戦後に取り壊されている簡易的な城だったようで、

もちろんこんな立派な造りではなかったでしょうけど(^_^;)

ちなみに、一夜城とは言いますが、
さすがに一晩ではお城は建てられませんよ(笑)

これも諸説ありますが、3日で完成したとか、
7日で完成したとか、いろいろ言われてますね。

秀吉の出世の足掛かりとなった墨俣の地、
興味のある方は、ぜひ旅してみてくださいね(*^▽^*)






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